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「令和」によせて

「令」は、万葉の時代、大宰府で・・・
美しい梅の花を賑やかに愛(め)で、歌った歌・・・

初春の令月にして
気淑(きよ)く 風和(やわら)ぎ
梅は 鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き
蘭(らん)は 珮後(はいご)の香を薫らす

に起因するものだとか・・・

この歌で表されているのは、梅のえん(宴・縁)のこと。
「うめ(産め)」とは、ものごとが(産み)栄え、花開くさま。

「令和」は、梅に、とても縁ある名前です。梅の花が咲き乱れる様子なのですね。

清らかな平和の世となりて、人が心を開きて和を為し、
そこに麗しい花が咲き開いて、世の幸せを示すことを願って名付けられたのでしょう。

「感謝経済」が、まさに、私たちの「互い助け合いの場の創造を通して、物心両面の幸福を実現し、世界の発展に寄与する」という存在意義の苗代(なわしろ)となり「令和」に呼応するように、そこに「ありがとう」という「梅」の花を咲かせることでしょう。

株式会社オウケイウェイヴ 代表取締役会長 兼元 謙任


振り返れば、平成は難しい時代でした。難しいというのは、何が正しくて、何が正しくないのか、見極めがつかない社会であった、という意味においてです。人類がインターネットと邂逅し、インターネットは人類に、無数の回答例を提示しました。結果、宗教的・歴史的対立は深まり、世界のイデオロギーは争いの螺旋から抜けることが出来ませんでした。ひとえに情報過多。それに伴う社会機能の複雑化が主因であったと思います。

翻って令和の時代。世の中は、これからシンプルになっていくと思います。シンプルとは、短く、わかりやすく、コンパクトなさまです。正しさとはなにか。価値とは何か。価値はどう測られるのか。そしてどう交換されるのか。技術やお金が、社会をあまりに複雑にした平成の時代を経て、世界は一つに、世界はシンプルに向かっていきます。AIやIoT、量子コンピューター等の最先端技術が世界をコンパクトに整理するため、整理効率を高める意味でも、シンプルなもののみが受け入れられ、必然的に残っていくのです。

シンプルな時代において、人類に求められる素養もまた、シンプルな解に帰結します。それは善意であり、利他であり、素直さであり、謙虚さである。いわば、プリミティブな“人の良さ”、言い換えれば“人格”、この一言に尽きるのではないでしょうか。

令和の『令』には、“古代において、律と共に根本をなしたおきて”という意味があり、『和』には、“やわらげる、融合していく”という意味があります。古代より続くおきて、これはまさに“人格”であり、“優れた人格”には良質な人々が集まり、コミュニティーが融和し、理想・希望が実現していく潮流が生まれていくのです。平成の時代においては、これを人は“運”と呼び、運の発生起源を“神”と呼んできたわけです。

しかし“運”や“神”とは、偶発的なものでしょうか。古代より続く“人格”というおきてを融和することで感謝を誘発し、感謝が積み重なることで結果、運がよくなっていく。こんな力学も、見えない領域で機能しているようにも思います。神という偶像は感謝の累積に彩られた側面もあり、令和の時代は、人類が自律(律令)し、神への依存度を下げていく時代なのかもしれません。

運を追求し、感謝を科学する。

私達オウケイウェイヴは、一丸となって、半永久的記録保持性を有し、民主的な投票行動で価値が定まるブロックチェーン/暗号通貨の可能性に賭け、“令和”という新時代の名にふさわしい、人類の未来に資する“おきて的なもの”とは何かを、皆さまからのご理解をいただきながら、探求し続けて参りたいと思います。

株式会社オウケイウェイヴ 代表取締役社長 松田 元


令和に寄せて
マクロの政策からミクロの制度へ

平成が始まった時の日経平均株価は3万円ほどだった。平成元年年末までに4万円近くに達した。バブルの終期に急上昇する光景はしばしば見かけるが、この1万円分は余計だったな、と今でも思う。翌平成2年(1990年)に入ると株価は暴落し、1年遅れて地価も暴落。平成は、株価と地価の二重バブルの原罪を清算させられた時代と感じている。
バブル期には、官民協調の日本型(経営)モデルの優秀さを疑わず、“21世紀は日本の時代”とみな素直に信じていた。バブル崩壊後の累次の経済対策もはかばかしい効果を上げたようには見えないなかで、官民協調の日本型モデルへの信頼は崩れ、やっぱり市場原理と競争に正面から向き合わねばならない機運が高まった。
経営危機に陥った銀行を公的資金で支援するのは、2008年9月のリーマンショック後は国際標準の処方箋になったが、1990年代半ばには日本国民を怒らせるスキャンダルにもなった。経済の血脈である銀行はしょうがないとしても、メーカーの公的支援なんて論外、という国民の気分のなかで1990年代末に経営危機に陥った大自動車メーカーもあった。原理主義的思考法が薄らいで官民ファンドが林立する今と違い、支援してくれる外資の登場を願うしかなかった。
平成は、マクロ政策が無力化した時代でもある。財政政策は使ったカネの分の仕事は生むが、「投資が投資を呼ぶ」かつての乗数効果は期待できない。金融政策として金利ゼロの国債と通貨を大量に交換してみたところで、世界の投資家が面白がって反応しなければ意味がないと気づいた。

では、令和でなすべき政策を問われても、「これさえやれば一挙に解決」みたいな処方箋は見当たらない。ただ、マクロの政策に期待できない分、ミクロの制度を丁寧に見直していく必要性は高まっている。

例えば民泊である。大田区や大阪市が名乗りを上げた民泊特区は、2泊3日以上の長期宿泊だけを認めている。次いで制定した民泊新法は年間180日以内の営業に限り、自治体による上乗せ規制を認めたから、週末2泊3日以下の宿泊、などとされている。民泊特区が2泊3日以上、民泊新法が2泊3日以下と真逆なのは、規制目的が顧客利便でなく民泊の邪魔にあるのを分りやすく示している。「長い宿泊しか認めません」も、「短い宿泊しか認めません」も、期間制限のないホテルや旅館に配慮した結果に他ならない。「だから既得権は打破しなきゃダメなんだ」と怒ることも構わないが、業法を守って努力してきた宿の経営者が、「自宅の一部が空いてるから旅人を泊めよう、なんて商売が簡単にできては困る」と反発する気持ちも分からなくはない。
古代の旅人には民泊しかなかったが、取引や戦いや物見遊山の旅人が増えると専業の宿が生まれ、やがて宿が守るべきルールとして業法も生まれた。ITにより技術的には多くの旅人を民泊が吸収できるようになった現代の制度論は、民泊の邪魔ではなく、既存の業法の緩和に向かうのが筋ではある。但し、宿の業法は旅人の大量収容を前提に、フロントを備えよ、とか、安全や衛生を確保せよ、とか求めるから、簡単には緩和できない。だから民泊を邪魔しがちになるが、それは競争条件の公平に配慮した激変緩和措置に過ぎず、自我の赴くまま顧客利便を制限するのには限界があるとの自覚が制度論として重要になる。民泊新法により某大手外国企業が登録物件の8割を削除し、日本を代表する某観光名所の基礎自治体が冬の間しか民泊を認めない追加規制をするのは、限界超えの風情が漂う。
また本文章を読む方の中には「専業の宿でも民泊でも宿泊サービスは、泊まる者と泊める者の関係だけでなく、地域住民の住環境の一環を形成している視点に欠ける」と反発する方もいると思う。確かに、多くの外国人がスーツケースを引きずって近所を歩いていたら、住環境が悪化した、と感じる住民は多い。国際空港を抱える大田区、また、昔から居住する外国人が比較的多い大阪市は「外国人に違和感を覚えるようでは困ります」と考え、住民の感情を誘導しようとして、既存の宿業界との利害調整と妥協をしてでも民泊特区の道を選んだ。そして、有望な成長分野が依然として判然とせず、人口が減る一方の令和日本で、「外国人に違和感を覚えるようでは困ります」と考え住民の感情を誘導するのは、国とすべての自治体の課題になった。現実の住民感情への配慮だけでなく、住民感情そのものを時代に合うよう誘導していこうとするならば、令和におけるミクロの制度論として、かなり深い次元に達すると言えるだろう。

オウケイウェイヴ特別顧問 大森 泰人


令和によせて
~さらなる“新結合”模索の時代突入~

日本は平成2年(1990年)末にいわゆる“バブル経済崩壊”となり、その後、日本経済の形容の際は「失われた10年」「失われた20年」などの言葉が使われ、平成31年(2019年)4月に平成は終わりました。
平成の間、日本では世界で例を見ない少子高齢化社会への突入、バブル崩壊の底抜けを防ぐ財政出動と“天文学的な数字”の公的債務の積みあがりが進みました。
また、この間、世界は平成20年(2008年)9月15日のリーマンショック以降、世界の中央銀行が、近代~現代で例を見ない量的緩和政策などの金融政策を続け、現在、その“政策的カネ余り”の“安逸”から世界や市場が果たして脱出できるのかというフェーズに入っています。
産業革命、さらには20世紀以来の実物需要念頭のものつくり製造業中心の大量生産大量消費、その飽和状態や曲がり角を打破したいための金融肥大経済のグロテスクな姿の成れの果て、近代資本主義の成れの果てが、リーマンショックとその後の世界の経済の姿ではと思います。

そうした中、平成の最後の10年は、ナレッジエコノミー、データエコノミーがICT(情報通信技術)のすさまじいスピードでの発展とともに経済の主役になりつつあります。
「データは21世紀の石油」との言葉も古臭くなりつつある中、また、先進国中心の法定通貨の量的緩和などがどう経済に影響を与えるかが不透明なまま時間が過ぎてきた今、経済・社会がどうあるべきか、世界中での模索が始まっています。暗号資産/暗号通貨などをめぐる動きも、こうしたコンテクストの中で登場したことは間違いありません。弊社オウケイウェイヴも、新しい経済の考え方として、感謝経済を打ち出させていただき、事業を進めています。

令和のスタートは、奇しくも21世紀が間もなく20年を経るのと合わせ、世界が、新たなイノベーション(経済学者シュンペーターのいう“新結合”の意味のイノベーション)、つまり新次元の“これまでにない付加価値”の組合せを求めていく時代の始まりと感じています。その胎動やダイナミズムを微力ながら分析、調査、提言等をしていく所存です。

オウケイウェイヴ総研所長 大山 泰

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